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左翼とはなにか

 


尚、著者は左翼の考えに対しかなり疑問を抱いているという点をまず初めに書き添えたい。−−−


左翼とは、辞書によると以下のようなものである。

 フランス革命時代の国民議会で革命の急進化を主張する一派が議長席から見て左に位置していたことに由来する言葉で,一般に,改革や革命のような政治的志向をする政治勢力や人物のことを指す。
  具体的に何が〈左翼〉とみなされるかは,その時の政治勢力の位置関係と,対抗概念である〈右翼〉が何を指すかによって決まるといってよい。革命運動や労働運動の内部においても,左派と称されるグループが存在し,また保守派の内部にも左派が存在する。また資本主義の国家では,共産主義や社会主義を主張する政治勢力が左派と称される。伝統的な権威主義的支配が行われているところでは,自由主義や民主主義を要求する者も左翼を構成する。いずれも,一定の場で相対的に急進的な勢力,現状の変革を求める者が左翼と呼ばれている。[1]

現代、この日本においては共産主義者が左翼と呼ばれる。 ここでは、日本における左翼、”共産主義者とはなにか?”に迫りたいと思う。

 

共産主義者とはなにか?

辞典によると、共産主義に関し以下の説明がある。

共産主義という言葉は,共有財産を意味するラテン語の commune に由来している。共産主義とは,私有財産を否定して財産の共有の状態と,共有財産にもとづく社会・政治体制を実現しようとする思想と運動である。[1]

この思想を元に、古代から様々な人によって”理想社会”が描かれてきた。プラトンやキリスト教、その他多くの思想家たちの手によって。 そして、現代の共産主義を形作った人、それがマルクスとエンゲルスである。

マルクスはその名の通り、”マルクス主義”を提唱した者だ。 以下、このマルクス主義の根幹をなす、”弁証法的唯物論”の説明をする。 これを理解することが、現代における”共産主義者”を理解する上で必須であると考えるからである。

 

弁証法的唯物論とは?

”弁証法”は、辞書によると以下の様に記されている。

弁証法とは,元来は対話術(ギリシア語でdialektik^ techn^)を表すことばであり,仮設的命題から出発しつつ,その仮設からの帰結にもとづいて,当の仮設的命題自身の当否を吟味する論理的手法を意味する。[1]

これだけでは何のことかわからないと思われるので、以下に説明を記す。

図1

本来の意味においては、弁証法とは、討論相手の”主張と論証”を否定し、論破して行く技術。 例えば、A者がaと主張し、B者がb(aの否定)と主張する。そして、aとbとを対比させつつ考察して行くと、この討論から、aの主張の一部とbの主張の一部を含んだ、新しいcという主張が出てくることとなる。このようにすることにより、より多面的・高次元的な結論に導かれる、というものである。

弁証法の意味とは本来このようなものであったようだが、時代の変化とともにその内容が変わっていったようだ。 「歴史と人生観」によると、以下のようにある。

本来一個の弁論術もしくは問答法に過ぎなかったものから、次第に真理追究の論理的手段とされるようになり、更に一般の哲学的思弁の方法と考えられるに至ったのである。(中略) 中世では弁証法は、知識人の必須科目たる七大学芸の1つ、論理学の一部に組み入れられ、更に近代に入ると、カント、フィルテ、シェリング等のドイツ古典哲学者により、哲学的方法にまで仕上げられ、ついにヘーゲルに至って哲学の一般的原理として見事に体系化されるに至るのである。[3, p100]

そして、ヘーゲルは19世紀最大の思想家と呼ばれるようになる。 ヘーゲルにおける”弁証法”とは、以下のようなものである。

尚、図2においては定立を”正”、反定立を「反」、総合を「合」とした。

図2

弁証法は、運動、過程、進歩は対立物の矛盾から生じるという考え方をふくんでいる。この思想は伝統的に、定立、反定立、総合という3段階によって分析されてきた。ヘーゲル自身はつかいたがらなかったが、これらの用語は彼の弁証法思想を理解するには有効である。定立とはある概念あるいは歴史的運動である。この概念あるいは運動は不完全さをふくんでいるので、反対物、つまり矛盾・対立する概念あるいは運動に転化する。これが反定立である。この矛盾の結果として第3の相である総合が生じ、定立と反定立の両方をふくむいっそう高次の真理によって矛盾が克服される。だが、この総合も新たな定立となり、反定立を生みだし、この反定立が新たな総合を生む。こうして、知性や歴史は、連続的に発展していく。[2]

これだけでは、本来の意味における弁証法とさほど違わないと思うかもしれないが、ヘーゲルは”世界の現実を把握しようとした”ことに違いがある。ヘーゲルにとってみれば、世界とは”絶対精神”が顕在化されたものなのだ。この”絶対精神”の動き・発展が上のような弁証法に従って発展する、として世界を捉えようとしたのだ。

ヘーゲルの弁証法は”精神発展の論理形式であった”という点を抑えておく必要がある。


マルクスとエンゲルスは、ヘーゲルによってある程度の完成形を見た”弁証法”を”唯物的”に発展させた。尚、”唯物論”の定義は以下のものである。

唯物論 ゆいぶつろん Materialism
 物質を究極的な実在とする哲学上の説。この学説では、意識現象は神経系の物理的・化学的変化によって説明される。精神的なもののほうが根源的だとする観念論(唯心論)に対立する。同じ唯物論でも、物質をどう考えるかによって、古来よりさまざまな立場がある。[2]

そして、マルクスとヘーゲルとの違いは、以下の点に読み取ることができる。

マルクスは、ヘーゲルの弁証法を踏襲しつつも”精神論”は受け入れなかった。ヘーゲルのことを”偉大なる思想家”と呼び、自らその門人であることを明言したりと、ヘーゲルのことを高く評価している一方で、”私は唯物論者であり、ヘーゲルは観念論者だ”と言っている。[3, p104-105]

特筆すべきは、以下の点である。 ただし、これはあくまでも”マルクスの視点”である。

自然界・人間界を含む全世界を、不断の流動の過程と見る点では、ヘーゲルもマルクスも共通であるが、しかし、世界の発展は、ヘーゲルにとっては精神(理念)の自己運動であり、マルクスにとっては物質の自己運動である。(中略) マルクスにあっては、精神(理念)は物質が人間の頭脳の中に移植され、翻訳されたものであって、理念から物質が生まれるのではなく、物質からこそ理念が生まれる。そしてこの物質の弁証法的な自己運動こそが、実に世界史そのものである、とするのである。[3, p106]

この点は、マルクス主義の根幹を示すものである。 マルクス主義は、”物質”が全ての根底にあると考える。そして、マルクス主義における”物質”とは、普通の人が想像するような”目に見えて手に触れられる物質”だけではなく、ここまでかというほど拡張されているのである!

尚、すぐ上の引用文であるが、重ね重ね言うが、これはあくまでも”マルクスの視点”である。 以下の点に留意する必要がある。

ヘーゲルは何も、精神が物質の原因である等ということは何も言っていない。ヘーゲルの理念というのは、単にいわゆる精神現象・心理的機能として捉えられるべきでなく、およそ存在するものがそれによって立つ道理(ロゴス)もしくは論理、というほどの意味である。ヘーゲルは「存在するものは合理的である」という例の汎論理主義の立場から、このロゴスがすべての存在を貫いているとしただけであって、何も発生論的に精神が先で物質が後だ等と主張したのではない。[3, p107]

  

 

唯物弁証法の基本法則

マルクス主義によれば、自然界・人間界は以下の3つの基本法則に従う。

1.量から質への、またその逆の転化の法則
2.対立物の浸透の法則
3.否定の否定の法則

1の法則は以下のようなものである。

まず、”この世界の変化は、”量”と”質”との統一物として考える。それは表裏一体である。”という前提に立つ。 そして、”量から質への転化の法則”とは、”質が一定であったとして量のみが増えた場合、ある一定まで達するとそれ以上量が増えなくなる点があり、それ以上量が増えようとするならば、新しい質への変化が必要であり、それは漸進的な進化ではなく、必ず突然の革命的な方式、飛躍の形で行われる。”というものである。 逆であるところの”質から量への転化の法則”はさほど重要視されていないようだ。

2の法則は、”矛盾を含まないものはこの世界に存在しないという前提の元、矛盾物はお互いに依存し、影響し、排除し、戦うことによって運動・発展が引き起こされる”というものである。

3の法則は、いわゆる世界・物事が”唯物弁証法的に発展する”というものである。


1の法則を見ての通り、”革命”というイメージを彷彿させる。 これが、”共産主義者は革命を求める”根本原理である。

続いて、2の法則を見ての通り、”闘争”のイメージを彷彿させる。 これが、”共産主義者は残虐な人権抑圧を行う”根本原理である。時には人をも殺す、過激さがここに見え隠れする。

3の法則であるが、これは”革命を確かなものとする”為の理論である。 マルクス主義においては、この3の法則、「否定の否定の法則」によって”資本主義社会から共産主義社会への転化の必然性”を訴えている。マルクスは次のように言う。

「資本家的生産の仕方から生まれた資本家の領有の仕方は、すなわち資本家的私有財産は、個人的な、自己の労働に基づける私有財産の第一の否定である。だが資本家的生産は、自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を造りだす。それは否定の否定である。それは労働者の私有財産を再び回復するものではないが、しかし資本主義時代の成果たる協業や、土地ならびに労働そのものによって生産された生産手段の共同所有を基礎とする、個人的財産はこれを造りだす」(資本論第一巻)[3,p119]

 この文は、いささか読み辛い。次のように分けてみるとわかりやすい。

  1. 個人の私有財産がある。(これが弁証法的”正”であり、産業革命以前の時代を指す。)
  2. ”資本家の私有財産”は、”個人の私有財産”の第一の否定(これが弁証法的”反”であり、産業革命時代を指す。)
  3. 1でも2でもない、新たなものが出来上がる。(これが弁証法的”合”であり、これからの時代のあり方を指す。)

 そして、3で出来上がるものこそが、共産主義社会である、というわけである。 このように見てくると、まさに人類の歴史を示していると思ってしまっても不思議ではないように思える。 だが、これを提示した時代と、現代は違っている。 資本主義は現代においては修正され、資本家のみが独占する財産ではなくなっている。 にもかかわらず、マルクス主義者は必ず革命は来るものだと信じて疑わないのである。

 尚、”歴史と人生観”においては、次のような大変意義深い指摘を行っている。

マルクス主義は弁証法を物質自体の運動法則と見る結果、物質が恰も生きて活動しているような、物活論的要素を多分に蔵している。だが、事実はその反対である。事実は、私有財産制が自己否定したり、また否定の否定をするわけではない。私有財産制の下に生きた人間、或いは楽しみ或いは苦しみ、当代の制度や仕組みをよりよく改善せんと欲して努力している(失敗することもあろう)生きた人間が、発展の主体であり、運動の主役なのである。資本主義や社会主義が自己運動するのではない。歴史の上に現存しているのは、資本主義という抽象的概念ではなくて、資本主義下に生きてこもごも努力している人間なのである。[3, p120]

そして、この「否定の否定の法則」は歴史を”冷ややか”にしてしまう危険性がある、という。 これこそが、現代日本の一部に暗く影を落としているのではないか。

又、元来、唯物論というものは、いつの時代にあっても、その時代を支配している考え方−−政治的概念や宗教的概念など−−に、反抗するという性質を帯びている。 それ故に、それらの観念を打ち破り革命を起こすという役割に対し、誇らしく思うようだ。 とすれば、マルクス主義が、唯物論の内容によってではなくその革命的性格により唯物論を支持しているとも推測できるのだ。

 

マルクス主義の主張する”科学”と宗教性

又、マルクス主義の掲げる”宗教性”に関して、以下のようなレポートもある。[3, p255]

マルクス主義は科学を自称している。しかもレーニンによれば、「唯一の社会科学」(人民の友とは何か)なのだそうである。いやしくも科学を自称する以上は、絶対的真理性を誇称する独断や教条のあること自体が、奇妙なことと言わねばならぬ。

科学、特に人文・社会科学にあっては実証性が、つまり事実と合致しており、事実の検証に堪え得るという実証性が、その生命なのである。論理の一貫性や精巧さは二の次である。仮に事実が非因果的に非論理的に展開したとすれば、それをそのまま非論理的なものとして捉えるのが真の科学のあり方である。マルクス主義はその逆である

マルクス主義は、現実に目をつむり、論理こそが絶対であると信じ込む。

科学という仮面を被ったマルクス主義は、その宗教性により、数多くの悲劇を生み出している。

 

マルクス主義とその革命

マルクスは、その弁証法から”資本主義が十分に発達した国に社会革命は起こる”としている。 レーニンによってそれは修正され、”資本主義の弱い国にこそ社会革命は起こるべし”とされたが、レーニンの主張したことは、今では”自分の祖国に革命を起こさせる為の詭弁”とも取られている。


今まで、様々な発展途上国において社会主義国家が生まれてきたが、これらは必ずしも内政上の国是を示してはいない。 それらはむしろ、対外的立場や、国家資本主義とでも言うべきものとなっている。

”対外的立場”とは、例えばアラブやビルマが、社会主義を名乗ってはいるものの国内では共産主義者を弾圧していたりすることなどを指しているようだ。

”国家資本主義”とは、国内資本に乏しい国を一つにまとめ上げる為に国家が先頭に立つ、その為の社会主義国家である。これは、日本も明治初期に採用した方法で、日本がある程度の資本蓄積に成功した後は国営企業を払い下げたように、今ある社会主義国家にしても資本主義国家への切り替えを行う可能性は非常に高いとも言える。


少なくとも、これらの現状を把握して見ると、マルクスやエンゲルス、そしてレーニンが言うように、「必然」のものとして社会主義が訪れるということは、現時点では、ほとんどないように思える。 もしあったとしても、彼らが言っていることとは全く別の要因から生まれることと思う。


マルクス主義の求めるところは、”革命”である。 もっと言うならば”戦争”である。 共産主義者がかつてジェノサイドを繰り返し、現代においても少なからず行い、例えば支那がチベット侵略&弾圧を行っているのも、つまるところこのマルクス思想あって故のものなのである。 これらの”革命”そして”対立”という要素が、”左翼は反対ばかりして、自分たちは努力しようとしない”という現象における根本原理である。

 もはや、かつてのようなマルクス主義/革命主義では人々をつなぎ止めることは不可能になっている。 冷戦が終わり、共産主義に対する幻想は消え、欧米各国では、左翼はかつての左翼ではなく、革命を捨て去った新たな勢力として生まれ変わっている。 日本だけが、かつての左翼の残党によって腐臭が放たれている。


弁証法を「間違いを訂正しない理由」にしている左翼の末裔

現代の左翼は、必ずしも上記に示した唯物論的弁証法に従ってはいない。 しかし、その思想を継承している。 弁証法的解釈により「理解・認識とは段階的に発展するものだから、今の時点で間違っていても仕方がない」と考え、間違いを広めてもその過ちを訂正することを後回しにする。

現代、右翼とも左翼ともつかず複雑に思考が絡み合っているが、左翼の思想を持っているかどうかを判断するために、たとえば「間違いを訂正しない人」をその踏み絵にすることもできる。

 

さいごに

 マルクス主義は、既に過ぎ去った考え方である。 未だにこれにしがみつき、革命を望んでいる人の姿が、まだこの日本に残っている。 どうやら、次のような言葉がかつてあったらしい。「20代にしてマルクス主義に染まらない人は臆病者であり、40代にしてマルクス主義を脱却せぬものは愚者」とも言われているようだ。

 何故、日本がこうなってしまったのかは、戦後の時代の混乱にある。日本古来の歴史・文化は価値がないとする風潮が一時期、いや、少なからず今までも続き、その中で、純アメリカ主義や純ソ連主義と言った思想が一部の”進歩的文化人”と呼ばれる人たちの間で広まり、日本中を大混乱に陥れた。 実際は、彼らは”声の大きい少数派”であった訳だが、彼らは力(言論力・広報力)を持っており、日本の一般庶民はそれに引きづられ、思想における大打撃を受けた。 又、当時”右翼勢力”となる筈だった人たちがことごとくマッカーサーによって権力の座を奪われ、左翼天国になったという背景もある。

 そして現在。

 詭弁と話術、宣伝術により国民を白雉へと追い込んだ左翼勝利の時代が終焉に近づいている。 日本の国民と政府が真実を再認識し始めている。 過去の呪縛を断ち切り、立ち上がる者が多くなりつつある。 左翼主義に”総括”を与え、過去のものとし、教訓のものとするべきだ。 結果、日本が日本として立ち上がるのである。

 マッカーサーは、過去100年は日本を骨抜きにしてみせると言った。 そして、その”粛清”は今までのところ効果を上げ続けている。

左翼の末裔は、もはや過去の思想そのものを有してはいないが、その末裔としての特徴を捉えるために、過去の思想を学ぶことは重要なのである。

平成15年8月26日 22時45分 記
平成16年11月19日 追記
平成17年1月22日 "左翼の分類"を"左翼の階級"とし更新
"左翼の階級"から一文を"マルクス主義とその革命"移動
"現在の左翼の姿"削除
"さいごに""更新
平成19年10月21日 ”左翼の階級”削除
"弁証法を「謝らない理由」にしている左翼の末裔" 追加
"さいごに""更新

■参考■
1 世界大百科事典 (平凡社)
2 エンカルタ総合大百科2003(マイクロソフト)
3 歴史と人生観 −マルクス主義の超克− (川井 修治 著) 国文研叢書
4 左翼がサヨクにさよく時

 

 

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