歴史とは人生観
「歴史とはなにか」によると、以下のようなものとある。
非常に簡潔な説明だ。 ここに、”歴史”というもののかなりの部分が詰まっている。
ばらばらな事象、それを結びつけるものは”歴史に対する敬虔な愛情”であると「歴史と人生観」は指摘する。
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元来歴史というものは、大づかみに言えば、人間の生の歴史である、と言っても良かろうと思う。そうである以上、歴史記述者の心の底には、当人が立っている立場のいかんを問わず、記述の対象とする歴史事象に対する敬虔な愛情がなくてはならない。[2,
P7]
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単なる”事象を並び立てたもの”は歴史とは言わないのである。 それは、”年代記”と言われる。
そして言葉を付け加えるならば、”事実”というものはあくまでも”道具”であり、歴史観というものは”人生観”によって成り立つ、ということである。歴史の認識をする際、”何が事実”で”何が人生観”なのかをしかと認識しなければならない。 この認識を誤ると”都合の良い人生観を真実だと盲信する”という左翼の病理にも至る。
いつの時代においてもそれぞれの歴史観が様々な人によって思い描かれているものであり、”どれも真実”である。 一方、歴史というものを見るとき、”どのような視点でものを見るのか”という問題が上がってくるものである。
一方、悲しいことであるが、戦後の歴史観においては、その一部でマルクス主義が謳歌していた。 それは、歴史と共に生きることを否定し、歴史を客観視することこそが正しいとする風潮だった。 マルクス主義における歴史観、究極的には”物質”に本質があるとする歴史観を”唯物史観”と言う。 それは、限りなき”歴史の客観視”と”歴史からの血肉の撤退”を要求する。 つまり、”歴史を冷ややかに見る”という風潮だ。
これに対し、”歴史を客観視することは重要であるが、歴史を冷ややかに見ることが歴史の本質を見失わせており、又、歴史には生き生きした人生観・愛情が必ずや必要である”と「歴史と人生観」では指摘する。
実証なるものは歴史の真実を証明するための1つの手段、しかり徹底的に手段でしかないことが確認されなければならない、ということである。
実証はたしかに、歴史家が対象とする歴史像を形成するのに、多くの素材を与えてはくれる。けれどもその多種多様の素材を、1つの歴史像にくみ立てるには、生きた歴史家の一貫した人生観・価値観(これを信念と言ってもよく、その人年を育む愛情と言ってもよい)が必要不可欠であり、これなくしては、諸所の素材は積木細工のように分解してしまうではないか。[2, P10]
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これこそが、戦後の”一般における歴史観”に欠けているものだった。
「歴史と人生観」によると、マルクス主義による歴史観は専門家の間では冷ややかに受け止められていたようだった。 この事態は、”一般大衆における歴史観の危機”とでも言うものだったようだ。 同書にも次のような内容が書かれてあった。 ”マルクス主義者は、少数であるが声が大きく、効果的に宣伝する為に多くの人がそう思っていると錯覚する。 そんなに多数派でもないのが現実だ。” と。 同書は30年前に書かれた本であるが、現在でもそうであるので、昔からマルクス主義者は宣伝がうまかったのであろう。
”歴史”とは元来、正確な定義がなされずにいた。以下に、各種辞書における”歴史”の記述を記載したい。
れき‐し【歴史】
1.人類社会の過去における変遷・興亡のありさま。また、その記録。「―に名を残す」「―上の人物」
2.物事の現在に至る来歴。「―と伝統を誇る」
れきし‐かん【歴史観】
歴史的世界の構造やその発展についての一つの体系的な見方。観念論的な見方のものと唯物論的な見方のものとに大別することができる。史観。 広辞苑 第5版 より |
歴史を表す history という語は,historia(探究)というギリシア語に由来している。歴史が単に人間世界で生起する諸事件の連続や総和なのではなく,その諸事件の意味連関を探究する人間の作業でもあるということを,その語の由来が示している。
世界大百科事典(平凡社)より
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一方、上で少し挙げた、マルクス主義による歴史観である”唯物史観”を辞書より引用したい。
ゆいぶつ‐しかん【唯物史観】
〔哲〕(materialistische Geschichtsauffassungドイツ)
マルクス主義の歴史観。物質的・経済的生活関係を以て歴史的発展の究極の原動力と考える立場。これによれば、社会的・政治的および精神的生活過程一般は、究極において物質的・経済的生活の生産様式によって規定され、しかもこの物質的基盤そのものは、それ自身の弁証法的発展の必然性に従って展開するものとされる。史的唯物論。 <->唯心史観。
広辞苑 第5版 より |
マルクス主義とは、ここで書かれているように”物質こそが全て”として歴史を捉える歴史観である。その筆頭に挙げられるのが”経済”である。 マルクス主義は、経済によってその他のもの(哲学・経済・政治・文化など)が成り立っていると考える。
マルクス主義者が言葉を発する時に用いる論法についての知識も、彼らの言っている内容を理解するのに役立つ。 ここでは、”弁証法的唯物論”を例に挙げたい。
べんしょう‐ほう‐てき‐ゆいぶつろん【弁証法的唯物論】
(dialektischer Materialismusドイツ) 1840年代にマルクスが提唱し、エンゲルス、ついでレーニンらが発展させた理論。従来の唯物論が機械的であったのに対して弁証法的、ヘーゲルの弁証法が観念論的であったのに対して唯物論的であることを特質とする。根本原理としての物質的存在の優位とそれの弁証法的運動、人間的実践を媒介とするこの運動の模写としての認識を説く。
べんしょう‐ほう【弁証法】
(dialectic)本来は対話術の意味で、ソクラテス・プラトンではイデアの認識に到達する方法であった。アリストテレスは多くの人が認める前提からの推理を弁証的と呼び、学問的論証と区別した。
広辞苑 第5版 より
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ここでは、マルクス主義にはこれ以上立ち入らないことにする。[a]
歴史を成り立たせる為の要素
(歴史観を抜きにしたとして、)歴史を認識するための道具には様々なものがある。 「歴史とはなにか」によると、例えば以下のようなものである。
歴史を成り立たせる四つの要素
☆直進する時間の概念
☆時間を管理する技術
☆文字
☆因果律の概念 |
そして、同書に記されている以下の点は心を留めるに値する。 ただし、これはあくまでも上の定義に従って歴史を見たときの事柄に過ぎない。
自前の「歴史」という文化を生んだのは、地中海文明と中国文明だけ。
・ヘロドトスの「ヒストリアイ」(ギリシア語)
・司馬遷(しばせん)の「史記」
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歴史という概念を生んだのは2つの文明だけというこの話は、様々な示唆を提供してくれる。
各文明における歴史
以下、(マルクス主義以外の)これらのエッセンスを用いて解説されている各文明の要素を、ポイントのみ、意訳しつつ紹介したい。 内容は全て「歴史とはなにか」によるものである。
その前に、この中で用いられている”対抗文明”という言葉の定義を以下に記したい。
歴史のない文明もあり、又、歴史があっても借り物で、歴史の弱い文明がある。 このような先にあった文明から文化要素を借りてきて独立した文明を「対抗文明」(counter-civilization)と呼ぶことにする。[1,
p24]
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イスラム文明は地中海文明の対抗文明であり、日本文明は中国文明の対抗文明、という事例が同じ個所に書かれている。
以下、それぞれの文明の概略である。
・インド文明
輪廻・転生という考え方により、今世が「原因」で来世が「結果」と捉える文化。
時間が直線的に進むのではなく、くりかえしくりかえし原初に戻る、という感覚のある文化。
よって、このような文化では「歴史」を記述するのは不可能。その為に目の前の現象の説明に神話が使われる。 イスラム文明がインド文明に「歴史」という文化を持ち込んだ。 あれほど紀元の古い文明なのに、13世紀までしか辿れない。 インド人が歴史を意識するようになったのは、1858年にイギリスの女王がインド皇帝になってから。
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・イスラム文明
基本的に「歴史のない文明」
過去・現在・未来が因果関係によって固定されない。一瞬一瞬が神の領域。一瞬と一瞬の間は、繋がらない。
よって、未来について語る時は「神の意思あらば」という語句が付け加えられる。
この語句は、自分の意志よりも神の意志を優先させるという意味。
キリスト教徒はこの表現を「イスラム教徒は不誠実で無責任。気が変わったら約束は守らないのか?」と取る。
このように、基本的には「歴史のない文明」であるが、文明と文明の衝突が行われている現場においては、「歴史とは自分の立場を正当化する武器」として使われる。 歴史という文化のある国との外交において常に不利になる故、歴史という文化を取り入れた。
現在も、歴史という文化に鍛えぬかれていない為、歴史の文化のある国々に次々と出し抜かれる。 元々歴史が成立する基礎が欠けているので、文明の内部では意義の軽いもの。 |
・アメリカ文明
基本的に歴史のない文明
もっとも特異な文明。
本来は西ヨーロッパ文明の対抗文明である。
アメリカでは、「歴史」のジャンルにあるのはヨーロッパの歴史と、ギリシア・ローマの古典時代のみ。
その他の地域の歴史は「地域研究」として扱われており、歴史として扱われていない。中国でさえも。
アレキサンドロス大王の征服の及んだ範囲だけが歴史の舞台であり、それ以外は歴史ではないという認識?
アメリカ自身はその「歴史」にも入らず、「アメリカ研究」として独立している。 憲法だけによって作られた国家。
「歴史」ということばは、アメリカでは「だれでも知っている話」として軽く使われる。 このような結果、アメリカ人は現在がどうであることにしか関心がない。それ故に、歴史の代わりに国際関係論と地域研究(どちらも現在だけを扱う)が人気があるようだ。 みんなゼロから出発するというたてまえ。 |
・中国文明
最初に「史記」が作られた後、それが「正統」となった。
以後、この流れに反することができなくなり、
「天命を受けた天子(皇帝)がかならず一人いて、その天子だけが天下を統一する権利を持っている。」
という形式にこだわり続ける中国文明。
記録を読んでも変化がないように見えるが、それはこの「史記」の流れにそむくことが出来ない為。
世界の変化を認めない。
現実とかけ離れた「正統」の歴史観。
中国人は世界でもっとも優秀な民族であるという「思想」(中華思想)の由来は、この「正統」という概念にある。
北宋が契丹人(きったんじん)(モンゴル高原の遊牧民)に攻められ、首都に迫り、賠償金つきの平和条約を結んだ。この屈辱の反動で自分たちは正統だの漢人などと言い出して、北方の遊牧民族を成り上がりの「いてき」だとさげすんだのが”中華思想”の起源のようだ。 |
・地中海文明
ヘロドトスの「ヒストリアイ」の序文の一部
・ その1は、世界は変化するものであり、その変化を語るのが歴史
・ その2は、世界の変化は、政治勢力の対立・抗争によって起こる
・ その3は、ヨーロッパとアジアは、永遠に対立する二つの勢力
「ヒストリアイ」は、アジアに対するヨーロッパの勝利でめでたしめでたし、で終わっている。以後、歴史の書き方はこの形式が主となった。
つまり、二つの勢力が対立し、最後に正義が勝って終わる歴史観。ゾロアスター教・ユダヤ教の影響。
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ここに示すような”歴史”に対する捉え方の違い。
どの文明も、それぞれの文化の特色をよく示すものとなっている。 これこそが、”歴史とは一定のものではない”という示唆を与えてくれる。 歴史とは人生観そのものを示すものだということ。
当然ここからは、”西洋のものの見方こそが絶対唯一”という考えが誤りであることに気づかされる筈だ。
それぞれの文明があり、それぞれの人生観、それぞれの”歴史”がある。 その捉え方も違う。
歴史だけではない。物事の良し悪しや教育、生活観、価値観、法律等も、文化という前提に従って展開される。 西洋的なものさしは、あくまでも1つのものさしに過ぎない、ということをしかと認識する必要がある。 戦後は、西洋的な物差しこそが唯一で絶対的な物差しであるという風潮が日本の一般階層に広まった。 文化とは、その前提にある”生活環境”や”宗教”など、様々なものが絡み合っている。 戦後の文化人/一般人の混乱は、このような前提を抜きにして西洋こそが唯一であると崇めた結果でもある。
積み重なってきた歴史と文化は、往々にして、”宗教”という形となって現れる。 ”その国のことを知るのならば、宗教を理解する必要がある”と言われているのも当然の事である。 戦後は、”宗教は科学によって消え去るもの”という風潮が強まった。 しかし、人生観、そしては文化である筈の宗教が消え去る筈もない。 新興宗教によって誤解が広まったが、本来、”何も考えずに信じて盲目的になる”ことが宗教ではなく、”宗教とは文化を規定した価値観そのもの”であるのだ。 であるから、キリスト教各国では宗教の授業があるし、戦前の日本においては”武士道”などの教えがその役割を担った。
歴史観の違いについて身近な例で言うと、日本と朝鮮・中国間の戦後補償問題や教科書問題なども挙げられるだろう。
日本が先の大戦でアジア各国を解放/占領下に置いたとき、「それが植民地であったかどうか、実際はどの程度のものであったか。 日本の理念は何であったのか。」などなど、様々な要素があるが、その”歴史”を構築する為の道具こそが”実証”である。 そして、その事実を結び付けるものこそが人生観であり、人生観こそが”歴史”を構築する。 であるから、同じ事実から日本と朝鮮・中国が違う”歴史”を導き出したと言っても、それはごく自然なことである。 であるのに、朝鮮や中国は日本の歴史教科書を指摘する。 このようなことは、”内政干渉である”として突っぱねれば良いだけのことだ。 戦後、日本が悪い国だと押し付けたかったGHQの政策が成功を果たし、そして今、中国や朝鮮はそれに付け込んでいるだけなのだ。 靖国問題にしても、東京裁判をしかと見つめなければ真実は見えてこない。 本当に日本は侵略者で悪だったのか? 東京裁判で突き詰められたものとは何か? 中国は昔から情報戦に強く、策略を用いるという点も留意すべきだし、北朝鮮に関して言えば、散々約束を守らずにいる、信頼のおけないテロ国家だということを認識する必要がある。
ほとんどの国は”自分の国を誇らしく思える歴史”を教える。 歴史を教えるということは、その国の歴史、そしては人生観を次世代に受け継ぐことでもあるのだ。 それを断絶させられたならば、そこに生まれるのは秩序のない、国への愛国心を持つこともできない、単なるアメーバ生物である。 そのようなものが、日本の各地で続々と育ってきているのではないか。
と、いうように、”歴史とは何か”を学ぶだけでも、これだけの示唆に富んだ考えが可能となってくるのだ。 ”西洋の考え”として植え付けられた”唯物史観”は西洋のものではなくマルクス主義であり、西洋の人々はもっと人間的な歴史観を持っているということに気づく必要がある。 マルクス主義を克服しなければ、”歴史”そしては”世界情勢”は決して見えて来ない。
歴史観とは、決して”括一的”な答えが出てくるものではない。
例えば、土地を奪われた人に取ってみれば抑圧政治と感じただろうし、西洋各国の植民地支配から解放された人々からすれば日本は解放軍であっただろう。 そのように、歴史とは人生観なのである。 そして、その人生観であるところの歴史を築く為の道具が”実証”なのであって、それはあくまでも”道具”であることが確認されなければならないのだ。
平成15年7月26日 17時12分
平成15年8月13日 0時30分 追記
平成15年8月17日 12時04分 追記
平成15年9月11日 追記
平成15年9月21日 一部訂正
■リンク■
a 左翼とはなにか
■参考■
1 歴史とはなにか
(岡田 英弘 著) 文春新書
2 歴史と人生観― マルクス主義の超克 (川井 修治 著) 国文研叢書
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